昨日はあとさき塾の特別講座で、詩人の片山令子さんのお話を聞きに行きました。
始まって10分くらいで胸がいっぱいになってしまった。いい時間でした。片山令子さんは感受性がとても強い人だなと思いました。子供のときの体験も大人になってからの体験も体全部で感じていて、それがとてもよく伝わってきたので絵として浮かんでくるようでした。
お話の一部です。
自分が感じたことを、すごく大事なこと、中くらいに大事なこと、それほど大事じゃないことと分類して、すごく大事なことは引き出しの中にしまっておく。どういう風に自分が感動したかわからないまま、繋がりもないままにしまっておく。すごく大事なことって、そんなにはないんです。でもそういうものは何年も残る。その小さな引き出しを、いっぱい作ってときどき覗く。それは私のものなんだけど、抽象的なものに置き換えて誰のものでもないものにすると、他の人がわかってくれる。言葉は味方。たいへんなときにかけつけてくれる。エリザベス1世についていたウォールシンガム(?)みたいに、決して裏切らないんです。こういうのが売れていると言われても、ああそうですかと言うしかない。
と長く書いてしまったけど、聞いていて心が透明になる感覚でした。この透明になるかんじ、今年は2回目。自分が大事だと思える場所や、人や、言葉や、音楽、もっともっと意識的に触れていかないと思わされました。触れればああそうだったと思うんだけど、つい時間は過ぎてしまう。
詩集を買いました。片山健さんの線画が素敵です。
終わったあとは飲み会がありました。帰ろうかなと思っていたけど行ってよかったです!
始まって10分くらいで胸がいっぱいになってしまった。いい時間でした。片山令子さんは感受性がとても強い人だなと思いました。子供のときの体験も大人になってからの体験も体全部で感じていて、それがとてもよく伝わってきたので絵として浮かんでくるようでした。
お話の一部です。
自分が感じたことを、すごく大事なこと、中くらいに大事なこと、それほど大事じゃないことと分類して、すごく大事なことは引き出しの中にしまっておく。どういう風に自分が感動したかわからないまま、繋がりもないままにしまっておく。すごく大事なことって、そんなにはないんです。でもそういうものは何年も残る。その小さな引き出しを、いっぱい作ってときどき覗く。それは私のものなんだけど、抽象的なものに置き換えて誰のものでもないものにすると、他の人がわかってくれる。言葉は味方。たいへんなときにかけつけてくれる。エリザベス1世についていたウォールシンガム(?)みたいに、決して裏切らないんです。こういうのが売れていると言われても、ああそうですかと言うしかない。
詩集を買いました。片山健さんの線画が素敵です。
終わったあとは飲み会がありました。帰ろうかなと思っていたけど行ってよかったです!
今日帰って留守電のランプが点滅していないということは、落選したということで。先月出した、絵本のコンペ。武井武雄のイルフ童画館の。入選した人には今日電話が来るらしいので。応募に持って行ったとき、受付の方に「入選するといいですね」と言われて、本当に入選するといいと思って長野まで行ったのですぐに返事が出なくて頷くことしかできなかった。その一方で、もやもやしたまま出しちゃった感もあり、落選はショックだけどまあそれもそうだな。もやもやしているなら出すな、そんなの読まされて審査員の人に失礼だろうとも思うけど、出したかった。中途半端な形で選ばれたりしないでよかったのかもしれない。そんなの意味がない。(賞金は出るらしいので意味がなくはない)自分で好きだなと思える形にこれからできるので、ラッキーです。としておこう。登場人物のあいつらを見捨てるわけにはいかないし。の、その前に、あいつとあいつと、あのこらと、あいつをー
昨日は、半年通った水曜えほん塾の最終日でした。
最終日と言っても、今後も月に一度ラフを見ていただける日があるのでまだまだ続きます。終わったというより、これからという感じです。6人の少人数で緊張しましたが、少しずつ自分も馴染んでいって、たいへんだけど楽しかったです。編集者の方が講師なので、実際に出版する進行途中の絵本ラフや色校を見せていただけたのもすごくうれしかったです。得した気分になりました。一冊できるのにはいろんな人間が関わって何度もやり取りがあって、本屋さんがその本を置くスペースを作ってくれて、ってそういうことも思うとたいへんで当然。そういえば、このえほん塾に応募したのは応募受付最終日で、応募用紙を持って行ったらえほんやるすばんばんするかいしゃは定休日だったのでどうしようとあたふたしていたら、その姿を見て向かいの洋服屋さんのお兄さんが応募用紙を預かってくれたのでした。あのお兄さんにも感謝です。それ以来、一度も会うことはなかったけど。
最終日なので、終わったあと飲み会がありました。誕生日が同じ有名人話などで盛り上がりました。同じ日に生まれたからって何ということはないのに、関連付けたがるのはなぜだろう?帰り道は同じ方向にも関わらず一度も一緒に帰ったことのなかった方と一緒になり、色々話せて新鮮でした。
私は2008年から、絵本の塾に3つ通いました。行かなきゃよかったという日も読まなきゃよかったという絵本もなく、たいへんだけど好き。それに絵本は短時間、長くても10分?20分?くらいで読めるからそれもいい。
写真は、毎回くれるお菓子です。最終日はこれでした。お菓子をもらえるのはなんだかうれしいです。
最終日と言っても、今後も月に一度ラフを見ていただける日があるのでまだまだ続きます。終わったというより、これからという感じです。6人の少人数で緊張しましたが、少しずつ自分も馴染んでいって、たいへんだけど楽しかったです。編集者の方が講師なので、実際に出版する進行途中の絵本ラフや色校を見せていただけたのもすごくうれしかったです。得した気分になりました。一冊できるのにはいろんな人間が関わって何度もやり取りがあって、本屋さんがその本を置くスペースを作ってくれて、ってそういうことも思うとたいへんで当然。そういえば、このえほん塾に応募したのは応募受付最終日で、応募用紙を持って行ったらえほんやるすばんばんするかいしゃは定休日だったのでどうしようとあたふたしていたら、その姿を見て向かいの洋服屋さんのお兄さんが応募用紙を預かってくれたのでした。あのお兄さんにも感謝です。それ以来、一度も会うことはなかったけど。
最終日なので、終わったあと飲み会がありました。誕生日が同じ有名人話などで盛り上がりました。同じ日に生まれたからって何ということはないのに、関連付けたがるのはなぜだろう?帰り道は同じ方向にも関わらず一度も一緒に帰ったことのなかった方と一緒になり、色々話せて新鮮でした。
写真は、毎回くれるお菓子です。最終日はこれでした。お菓子をもらえるのはなんだかうれしいです。
昨日から水曜えほん塾という絵本塾に通い始めました。
思ったことは、人が変われば目指すものや立場が違うから、言われることも変わってくるなってことでした。当たり前だけど。前通ってたところともほんのり違う。
大事なのは、私がどういうところを目指したいかということで、たぶん自分ではわかっているんだけど、またもやもやしながらも刺激的な半年になりそうです。そろそろ、脱もやもやしたい。脱もや。できないだろうけど。
そういえばラフを見ていただいたときに「おきにいってるかんじ。おきにいかないで」と言われ、野球用語らしいのですが、意味がわかりませんでした。さっき調べてわかりました。確かに。『タッチ』にもそんなシーンがあるらしい。読みたいな。どっかにタッチなかったかな。
思ったことは、人が変われば目指すものや立場が違うから、言われることも変わってくるなってことでした。当たり前だけど。前通ってたところともほんのり違う。
大事なのは、私がどういうところを目指したいかということで、たぶん自分ではわかっているんだけど、またもやもやしながらも刺激的な半年になりそうです。そろそろ、脱もやもやしたい。脱もや。できないだろうけど。
そういえばラフを見ていただいたときに「おきにいってるかんじ。おきにいかないで」と言われ、野球用語らしいのですが、意味がわかりませんでした。さっき調べてわかりました。確かに。『タッチ』にもそんなシーンがあるらしい。読みたいな。どっかにタッチなかったかな。
絵本の教室のあとさき塾が終わりました。
何回か興奮するときがあって、何回か寝てしまった。
ラストは荒井良二さんの講演でした。
ゆるくて厳しくておもしろかったです。
行く途中、神保町でやっていたワンピース祭り(?)。
原画やオブジェが展示されていて
暑い中、長蛇の列ができていました。
何回か興奮するときがあって、何回か寝てしまった。
ラストは荒井良二さんの講演でした。
ゆるくて厳しくておもしろかったです。
原画やオブジェが展示されていて
暑い中、長蛇の列ができていました。
昨日、ビリケンギャラリーで『ぱぱごはん』という絵本の原画展を観た。はまぐちさくらこさんという方の絵本で、色が飛び回っていておもしろかった。
そのあと青山ブックセンターで、荒井良二さんの『モケモケ』という絵本のトークイベントに行った。いろいろ言い訳してなかなか『モケモケ』を音読したがらなかった荒井良二さんだったけど、最後に読んでくれて、それがすごくよくて動き出したくなりました。立ちたくなってしまった。モケモケって、ストラップとかになってる毛糸のふわふわ丸い玉をそう呼んでいて、それをタイトルにしたらしい。なんかわからないけど触りたくなるふわふわの玉。確かにモケモケ。五感の話とか、成長するに連れて消えていく感覚の話とかおもしろかった。土曜日の中学の部活の帰り道、「あの感覚は最近なくなったな」と思った感覚があった。妹が大ファンなので誘われて行って、誘ってくれてよかったなと思いました。そのあと妹がラケルのオムライスを食べたがったけどラケルは閉まっていたので、タパスタパスでパスタを食べました。
そのあと青山ブックセンターで、荒井良二さんの『モケモケ』という絵本のトークイベントに行った。いろいろ言い訳してなかなか『モケモケ』を音読したがらなかった荒井良二さんだったけど、最後に読んでくれて、それがすごくよくて動き出したくなりました。立ちたくなってしまった。モケモケって、ストラップとかになってる毛糸のふわふわ丸い玉をそう呼んでいて、それをタイトルにしたらしい。なんかわからないけど触りたくなるふわふわの玉。確かにモケモケ。五感の話とか、成長するに連れて消えていく感覚の話とかおもしろかった。土曜日の中学の部活の帰り道、「あの感覚は最近なくなったな」と思った感覚があった。妹が大ファンなので誘われて行って、誘ってくれてよかったなと思いました。そのあと妹がラケルのオムライスを食べたがったけどラケルは閉まっていたので、タパスタパスでパスタを食べました。
作りかけだった絵本のラフをひとまず横に置いといて、同じ登場人物でちょっと違う話のラフを進めています。それで、ここ最近ずっと悶々としています。
このまま突っ走るって手もあるとも言われたけど、今の時代のしつけという意味ではクレームが来るとも言われた。落ちているものを食べる、友情の話でした。
でも、落ちているものを食べるってことを抜きにしても、私が作っていたのは余計な要素が入り過ぎて複雑でへんな話だったのかな、と思う。もっとシンプルでわかりやすくしなきゃだめなのかも。1個のことに向かって、余計なこと入れずに15場面全部でそこに向かった方がいいのかも。
だからよし、このキャラだけど違う話で進めるって選択をしたんだけど、とは言っても、最近ずっと関わっていた話だったのでそう簡単に次には移れない。朝起きて机に乗ってるラフの登場人物の顔を見たら「うまくいかなくてゴメン」と思っていきなり涙がぽろぽろぽろ〜と出た。その日はそのキャラの顔を見れなかった。
それで次に移るために整理をすることにした。私はなぜその話が好きだったのか?とかどこがダメだったのか?とか。未練残るタイプ。しつこくてひきずるタイプ。
(そんな中、録画していた松本隆特集の番組を観た。松本隆があの静かな声で「・・・つーかさぁ、この歳(60歳)になると惰性でやってないわけよ。この3年で知り合い2人くらい車いすになってる。どれが遺作になってもおかしくない歳なわけ」というようなことを言っていて、おお、と思った。私は1個だけ作れるとしたら、何を作るかなと思った。私がいるのは一瞬で生きていない時間の方が長いな、ほぼ死んでいるなって思った。極端かもしれないけど。そんなこと思わずにやればいいのかもしれないけど、そういうことを考えてしまう。)
(それとなんとなく村上春樹『国境の南、太陽の西』をまた読んだ。読むたびにいろいろ思わせてくれる。あったりまえだけど、過ぎた時間は二度と戻らない、今は今しかないと思った。でも記憶は残る。)
(それから映画『ヒーローショー』を観ました。頭の中が熱くなった。泣いた。)
それで6月1日の朝起きたらなぜか元気みなぎっていて「なんだかいい話が書けそうな気がする」と思った。でも気がするのは気がするだけだからまったく当てにならないけど、とにかく、まあいいや。
友だちが「切羽詰まった日記おもしろいよ!」と言ってくれたので、書いています。友だち、無事に終わったんだけど、最近乳癌だったことがわかって手術を受けたと聞いて驚きました。
4つ前に書いたコンペに出せなかったブログのことを、あれ、めちゃめちゃおもしろかったですよー!と、げらげら笑いながら言われて、びっくりして、うれしくなりました。陰鬱なことをさらけ出して恥ずかしいなと思っていたけど、そんなに大笑いしてくれる方もいるんだなーと、うれしかったです。笑われるって快感。