拾ったタイサンボクのつぼみのような何かです。
小さい方は、4年前に同じ場所で拾ったもの。4年もたってるのにきれいなままです。
3日前のとても暑い日の午後のこと。かんかん照りの中少し急いで近所を歩いていると、向こうからいかにもホームレス、という雰囲気の男の人が歩いてきました。
この暑いのに黒い長袖長ズボン、右手にはカバーの付いていない掛け布団のようなものを抱えています。近づきながら私は(暑くないのかな、長袖脱げばいいのに。でも寝床に置いとくと他の人に取られちゃうのかな。脱いで手に持つより着ている方が邪魔じゃないのかも。ずっと着てると暑さに慣れて感じなくなるし)と思っていると、突然その人が目の前まで来てにっこり笑顔で言いました。
「イッショケンメイ歩いているところ申し訳ないんだけど、ぼく、ルンペンなんです!カンパしてください!!」
「えーーーーー!」
知らない人に正面切ってお金を乞われているよ今!とびっくり。小さい頃はよくいたけど。ルンペンのおじさんは50代くらいで髪はぼさぼさ、上の前歯がほぼ全部黒いけど人懐っこい陽気な笑顔。どうしようかなと思ったのですが、急いでいたのでここで時間使うよりさっと終わらせたいとも思い、「100円とかでもいいんですか?」と聞くと、「ハイ!一般的な金額です!」と笑顔。
お財布を開けると100円玉と500円玉が見えました。(この暑い中100円もらってもこの人どうするんだろうペットボトルも買えない。400円何か買わなきゃいいんだ)と思い500円玉をぽんと手のひらに。すると「ありがとうございます!」と一言残し、「暑いから気をつけてくださいねー・・」という私の優しい言葉を背中にさっさと歩いて行ってしまいました。
もうちょっと感謝されるかと思った。まあいいやと思って歩き出したところで、お財布の中に昨日友達にもらったマックのアイスコーヒー無料券が入っていることを思い出しました。ああ!なんで!この券もあげればアイスコーヒーただで飲めたのに!そういえばさっき500円取ったときに無料券も目に映ったのに!追いかけようかとも思いましたが、私も急いでいたしそこまですることないかと思い、歩きながら思ったこと。
1 あの人から見て、イッショケンメイ歩いているように見えたんだな
2 ルンペンも笑顔ですると、けっこうお金をもらえそう
3 お財布の中が混沌としていると、いざというときに力を発揮できない
無料券は昨日自分で使ってしまいました。マックに向かう途中であの人に会ったらあげてしまいそうだったので、会わないといいなときょろきょろしつつ向かい、無事にマックにたどり着きました。
絵などを描いてオーブントースターで焼くと、縮んで小さく硬くなるプラスチックの板です。小学生のとき一時期流行り、よく漫画を写して遊びました。藤子不二雄の『ひとりぼっちの宇宙戦争』を写したものがうまくできて、大事にしていた憶えがあります。
昔は色を着けなかったけど、絵の具で塗ってから焼いたらどうなるんだろうと思いながら焼いたら、見事にしわしわ、へんになりました。失敗作。接着剤でチョコの箱に貼りました。
それからこの前レンタルしていたDVDを返して『東京暮色』『彼岸花』『秋日和』を借りました。この数日で小津9本。どれもほとんど同じような内容の繰り返しなのですがおもしろい。「まぁ、ちょいとそこにお座り」とか「ちょいといいじゃない」とか「ちょいと!」とか、ちょいとというセリフがどの映画にも何度も何度も何度も出てくる、という発見がありました。
先週のことですが、初日に行った村山知義展へまた行きました。
その日は『国際シンポジウム「呼び交す身体 過去、現在、未来』と題して、舞踏など村山知義の身体の活動に焦点を当てて検証するシンポジウムがあり、聞きに行きました。
初日に行った日の日記で、私はおかっぱ頭について「当時はそれほど異様ではなかったようです」というようなことを書いたのですが、その解釈もいろいろあるようで、「あの頭は、1920年代という時代から遠い立ち位置にいたいという心情の表れでもある」というお話が上がっていました。中世ヨーロッパにいるかのような立ち位置にいたかったようです。他にもおかっぱ頭にしていた理由が上げられていたのですが、私がここで書くにはまだ知識が浅く、おかしなことを書いてしまいそうなのでこの辺で控えさせていただきます。そのシンポジウムでパネリストをされていた先生が、いつか研究本を出す予定ですというようなことをおっしゃっていました。わくわく。
その日は『国際シンポジウム「呼び交す身体 過去、現在、未来』と題して、舞踏など村山知義の身体の活動に焦点を当てて検証するシンポジウムがあり、聞きに行きました。
初日に行った日の日記で、私はおかっぱ頭について「当時はそれほど異様ではなかったようです」というようなことを書いたのですが、その解釈もいろいろあるようで、「あの頭は、1920年代という時代から遠い立ち位置にいたいという心情の表れでもある」というお話が上がっていました。中世ヨーロッパにいるかのような立ち位置にいたかったようです。他にもおかっぱ頭にしていた理由が上げられていたのですが、私がここで書くにはまだ知識が浅く、おかしなことを書いてしまいそうなのでこの辺で控えさせていただきます。そのシンポジウムでパネリストをされていた先生が、いつか研究本を出す予定ですというようなことをおっしゃっていました。わくわく。