今年の年明けに、実家近くの八幡山から眺めた富士山です。夕日に染まっています。
甥っ子に会ったら1歳になっていて、歩けるようになった上に、頭の回路が発達していてビックリしました。
以前は、そこに存在しているだけの、時間も場所も関係ないような、大きな宇宙の流れの一部、という感じだったのですが、まだ「バァ!」とか「ンー!」しか言えないのに、見ていると、こういうときはこういう反応をするよという甥っ子なりの道筋ができつつあるように思えて、驚きました。
甥っ子の うれしそうな バァ!の声
ガラス窓の 向こう側から
甥っ子と従兄の子供と私の3人で祖父の家のもう使われなくなった場所に踏み入ったとき
父が若き日に聴いていたであろうLPを1枚見つけてもらってきました。
父のレコードは全部(と言ってもたいした量はありません、ほんのひとにぎり)もらってきたと思っていましたが、もう1枚埃と一緒に隠れていました。
それも、昨年末たまたま初めてこのCDを聴いたところだったので、その数日後にこのレコード盤を見つけることになって、こういうたまたまは、おもしろいです。
父は亡くなったのでこのレコードの思い出は聞けませんが、あまり聴く時間はなかったのかなというくらい、ピカピカ輝くレコードでした。
甥っ子に会ったら1歳になっていて、歩けるようになった上に、頭の回路が発達していてビックリしました。
以前は、そこに存在しているだけの、時間も場所も関係ないような、大きな宇宙の流れの一部、という感じだったのですが、まだ「バァ!」とか「ンー!」しか言えないのに、見ていると、こういうときはこういう反応をするよという甥っ子なりの道筋ができつつあるように思えて、驚きました。
甥っ子の うれしそうな バァ!の声
ガラス窓の 向こう側から
甥っ子と従兄の子供と私の3人で祖父の家のもう使われなくなった場所に踏み入ったとき
父が若き日に聴いていたであろうLPを1枚見つけてもらってきました。
父のレコードは全部(と言ってもたいした量はありません、ほんのひとにぎり)もらってきたと思っていましたが、もう1枚埃と一緒に隠れていました。
それも、昨年末たまたま初めてこのCDを聴いたところだったので、その数日後にこのレコード盤を見つけることになって、こういうたまたまは、おもしろいです。
父は亡くなったのでこのレコードの思い出は聞けませんが、あまり聴く時間はなかったのかなというくらい、ピカピカ輝くレコードでした。